記録

突発的に長文を書きたくなったら使います。

彼女について知っている二、三の事柄

友人のweeちゃんが亡くなった。

 

改めて文字にすると悪い冗談みたい。私はこういう冗談は嫌いだし、weeちゃんもきっと嫌いだと思う。そこまで彼女のことを分かっているのかと問われると自信はないけれども。

weeちゃんが亡くなったのと同時期に、わざわざその程度の付き合いでそんなコメントを出すの?というような追悼ツイートで炎上しかかったミュージシャンがいて、ああいうのを大阪弁でいっちょかみって言うのだろうと思った。でも自分がweeちゃんについて何か言うのも同じようなものではないだろうか。自分が接していたのは彼女の一面でしかないことはじゅうぶん理解している。所詮ネットの付き合いでしょ〜?距離感〜?と誰かが突っ込むのを予想する。友人と表現することは果たして適切なのだろうかと自分でも思う。

同時に、そんなのわりとどうでもよくね、とも思っている。1か月経っても、weeちゃんのことを思い出すと、いまだに涙がぶわっとあふれてくる。もうこの世界にいないんだ、と何度自分に言い聞かせても信じられない。25年ぐらい前に知り合って以来、彼女に関してはいい思い出しかない。というかある種のリスペクトを抱きながらも気取り一切なしゆるさ全開で付き合える、稀有な存在だった。聡明でセンスがよくて、ネット上の文章もオフラインの会話もオフビートなコミュニケーションが心地よくてただただ楽しかった。彼女について何か書くとしたら、あのやりとりの再現、ナードテイストに対象化したスタイルが、もっとも相応しいんでないかと思う。その程度の付き合い。それがゆえに大切だった付き合い。

 

四日市

weeちゃんとは1990年代後半に、ニフティサーブの音楽系フォーラムで知り合った。私は都内に勤務していたが出身は三重県四日市市で、現在も四日市在住のweeちゃんとは「奇遇!こんなニッチなジャンルの音楽つながりで四日市だなんて!」と盛り上がった。齢はweeちゃんが2歳下、見聞きしてきた音楽やマンガや雑誌やテレビ、そして十代を過ごした四日市の風景をたくさん共有していて、毎晩アナログモデムでピーギョロギョロとやりとりするのが生活の中でいちばん楽しいインターネット前夜パソコン通信の明け暮れだった。私が帰省した折には一緒に食事したり、彼女が洋裁の布を買ったりライブを観たりする目的で上京した時は私の家に泊まったり。彼女のバイト先の洋服お直し店を覗きにいったこともあったなあ。

彼女は早い時期から自作の服を掲載するホームページやTwitterアカウントを持っていて(今気づいたがめちゃめちゃアーリーアダプターだ)、四日市ネタや音楽ネタが出てくるとだいたい自分は話題に絡みにいっていた。80年代から90年代にかけてあそこに住んでいた人しか知らないカルチャー事情をざっくばらんに話できる人というのは、後にも先にもたぶんweeちゃんだけだと思う。

元々実家とうまくいっていない自分は子供を産んでからはほとんど帰省しなくなり、近年はweeちゃんとのやりとりはTwitterが主になっていた。最後に会ったのは7年前、母親が死んだから久しぶりに四日市に行くとツイートしたら、じゃあ会いましょうよと彼女がリプをくれて、葬儀の後に近鉄四日市駅で待ち合わせた。事前に何も悲しいことはないからと伝えておいたおかげで紋切り型のお悔やみ言葉をかけられることもなく、淡々と近況報告しあいながらオシャレカフェでカレーを食べた。その近況も、病気のこととか体調のこととかあまり苦労せずに痩せたとかを苦笑しあう感じで、当たり前だけどこんな未来の予感なんて微塵もなかった。次に会う時は1号線のベトコンラーメンに行こうとか、XTCしばりでカラオケやろうとか言ってたけど、言ってただけで終わってしまった。

 

音楽とか漫画とか

ハンドルネームの由来はWeezerからと聞いていたけど、そういえばWeezerを話題にしていた記憶はない。共通の好きなものの代表格はXTCカーネーション青山陽一ファンの彼女はグランドファーザーズという単語を盛り込んだ会話が成立するリアルで唯一の知人だ。多分1999年頃のTrue Love Always来日公演を観に上京した時のこととか、いつだったか渋谷クアトロでカーネーション観た後に焼き鳥食べたこととか、もう記憶が断片的になっているのがちょっと辛い。最近音楽はどんなの聴いてるのかなと思っていたら、去年12月のLouis Coleを名古屋で観ていたのを後から知って(おうキミもか!ノリノリでしたでしょ!)と嬉しかった。いや直接リプすればよかったんですよね。今更遅いって。

あと漫画。成人してからの読書傾向は違えど、共通して80年代の別冊マーガレットとぶ~けに原体験があるというのが強力すぎる。おれたちずっとずっといくえみさんが大好きだよな…ごめんな最近自分はここ数年買わなくなっちゃった(買っても読めないから)…weeちゃんずっとコンプリしてたでしょう?えらすぎるよ…。そうだコンプリと言えば、自分は「ジュリエットの卵」全巻贈呈してweeちゃんの吉野朔実コンプリにささやかながら寄与したのを思い出した。ちょっと得意な気持ちになるね。

ここ近年は、ずっと漫画読みを続けているweeちゃんが自分にとって主たる情報源で、おもしろそうなものを知りたければ彼女のツイートをたどればよかった。といっても自分の場合は読めてもせいぜい「スキップとローファー」とか「ファブル」とか和山やまとか、既に大ヒットしてるやつばかりなんだけど、ニッチなものも含めておもしろい漫画が昔の10倍以上あるような情報過多なこの時代、ジャストミートなものを的確にキャッチアップしてくるのはある意味才能だと思う。彼女には伝えていなかったけど、VOCE連載の「僕はメイクしてみることにした」は教えてもらえてほんとによかった。私も近々メイク教室に行きたい。

 

人物像とかお人柄とか

音楽だの漫画だのと書いたけれども、彼女の趣味の主軸は洋裁である。趣味全体を100パーとしたら80パーぐらいのリソースの割き方だと思う。「服って買うと高いけど、自分で作れば安いやん?」と言いながら、一見手作りには見えないハイクオリティなカジュアル服を数多く作ってきた。コートやジャケットなどのウール物とか、Tシャツやパーカーなどのニット物とか、門外漢は(普通自作しないのでは)と思ってしまうようなものをドンドコ作り上げてしまう。そしてドンドコ着てみる。そこには、安いという理由以上に既製品よりも自分の好みに合うものが仕上げられるからという自負が垣間見える。己のことをよく分かっていて、絶対的に己のセンスを信じているからできる業だと思う。

そのセンスの良さと音楽趣味が合わさった一例が、アメリカン・ユートピア・リカちゃんであろう。デヴィッド・バーンのブロードウェイ・ショーを再構築した音楽映画「アメリカン・ユートピア」の衣装を完コピして我らがリカちゃんに着用させたファンアート。

当時リカちゃんに着せるファッション作りにはまっていた彼女が「アメリカン・ユートピア」を観て(これいけるやん、やってみよ)と可能性を感じた瞬間のワクワク感は、すべてのクリエイティビティに共通するのでは。神は細部に宿るという言葉どおり、スネアもシンバルもストラップさえもハンドメイドで作りこんで、出来上がったものの完成度は半端ない(そのメイキングを記録したブログも良いのだ)。出演者のコンガ奏者Jaquelene Acevedさんにも拡散され、最終的にはもう1体作ってプレゼントしたとのこと。デヴィッド・バーンの目にも届いたかな。届いているといいな。

彼女のいいところというのはものすごくたくさんあって、それらを総括して「スマートさ」と表現したい。例えば、長年ネット社会で発信し続けるというのはけっこうたいへんなことなのだが(ほら、自分が波風だらけだからさ…)、私が知っている限り彼女には軋轢どころかごめんなさいと言ったり言われたりするような事態は発生しておらず、かといってウェットな気遣いの応酬みたいなものもなく、それなりのユーモアとあたたかさと距離感をもって人々や物事と接するスタイルを確立していたように思う。本人は(そんな大げさなものでは…)と言いそうだが、なんでもないようなことがシンプルにかっこいいのよ。あ、でも一度だけ大昔に「2ちゃんねるの洋裁板に書きたいように書かれてて、あれはほんとに嫌やわ」と言っていた。一時期人気洋裁サイトみたいなことになってたし、それはそれで気苦労があったのだろう。

繰り返すけれどもネット中心の交流だったから、自分はweeちゃんの表層プラスアルファぐらいしか見ていない。亡くなってから彼女とのツイッターのリプライやDMのやりとりを何度か読み返していて、いいことを言おうとしないスタンスというのは尊い、と改めて痛感している。

最後に、彼女と知り合えて本当によかったなあと思ったやりとりを挙げよう。それまで「そんな歳になっても親を恨んでいるのはみっともない」とか「親を大切にできないのは人格の欠陥」とさんざんな言われようだったがゴミ屋敷と化した実家をなんとかしないとと思い込んでいた自分に寄越してくれた彼女のポスト。誰からも共感されないと思うし本人も(そんなか?)と言いそうだが。そんななのですよ。